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神戸地方裁判所 昭和49年(ワ)885号 判決

原告

阿多洋子

原告

阿多正夫

原告

阿多玉端

右三名訴訟代理人

山本諫

小越芳保

被告

医療法人榮昌会

右代表者理事

吉田榮

右訴訟代理人

佐伯千仭

米田泰邦

主文

原告らの各請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告阿多洋子(以下「洋子」という。)に対し金五〇〇〇万円、同阿多正夫(以下「正夫」という。)及び同阿多玉端(以下「玉端」という。)に対しそれぞれ金五〇〇万円並びに右各金員に対する昭和四九年九月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告洋子は、昭和三三年五月二二日原告正夫及び同玉端の三女として出生した。

(二) 被告は、医療法人榮昌会吉田病院(以下「被告病院」という。)を開設してこれを経営し、医師を雇用してその患者の診療にあたらせている。<以下、省略>

理由

一請求原因1項(二)(被告病院の経営等)の事実、同3項(一)のうち、原告洋子が昭和四九年一月一日被告病院に搬入されて大井医師による手当を受け、気導管が挿入された事実及び同(二)のうち、同原告が集中治療室に収容されてバードによる人工呼吸が開始された事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二右の事実に、<証拠>を総合すれば次の事実が認められ<る>。

1  原告洋子は、同四八年一二月三一日午後一〇時半ころから自宅において原告正夫及び同玉端らとともに、姉の夫で調理士の大友常夫が調理したフグ料理(フグの身のほか肝臓などを含む)を食べた。

原告らは、同四九年一月一日午前二時半ころ口唇周辺にしびれを感じ、かかりつけの飯田医師に応診を求めたところ、来診した同医師は応急処置をした後同三時三〇分救急車の手配をした。

2  原告洋子は、同三時五〇分救急車で西市民病院に搬入され、直ちに唐土医師の診察を受け、当初は口唇周辺と肘のしびれのみを訴えていたが、後には舌にもしびれが及んだことを訴えるに至つた。同原告の心音は清澄、血圧は一〇四―六〇で正常範囲にあり、チアノーゼもなかつたが、心拍の亢進や悪寒があり、膝蓋腱反射は左右とも消失していた。

そこで同医師は、ブドウ糖の点滴、ヒマシ油(下剤)の投与及び酸素吸入を行い、同原告のしびれがさらに増長する傾向にあつたことから、入院による経過観察及び処置を要するものと判断したが、同病院の入院病棟に空床がなかつたため、当直担当者を通じて被告病院に連絡をとつた。

被告病院の担当者は、フグ中毒による軽症患者である旨の説明を聞いて同原告の受入れを承諾した。

3  同原告は同四時二五分西市民病院から救急車によつて搬出された。当時その意識に混濁はなく、車中でもブドウ糖の点滴を受けていたが、人工呼吸器などは使用されず、息苦しさを訴えていた。

その症状の程度は、同病院搬入の際の救急出動報告書には中等症と記載されていたが、搬出の際の同報告書には重症と記載されていた。

4(一)  同原告は、同四時四三分被告病院に搬入され、間もなく当直の大井医師の診察を受けたが、ほとんど無呼吸の状態で意識は昏迷し、顔面にはチアノーゼがあらわれ、全身の筋力は低下し、左眼の対光反射に遅延がみられ、両眼の瞳孔の大きさに軽度の不同がみられた。

そこで同原告の気管に筋弛緩剤などを用いることなく容易に気導管の挿入が行われ、直ちに手動式の吸入器による人工呼吸が開始された。

(二)  同原告は、同五時二〇分集中治療室に収容され、異常を知らせる機器などを用いてその全身状態が管理されることとなり、自動式のバードによる人工呼吸が開始され、ソルコーテフ(脳浮腫及び心臓に対するショックの予防に即効性のある副腎皮質ホルモン)やビタカンファー(強心剤)などが投与されたが、同六時三〇分の心電図では心筋梗塞の所見がみられた。

(三)  同原告は、同八時すぎころまで血圧は正常値にあつたものの、応答・痛覚・体動・対光反射がみられず、瞳孔が散大していたが、同八時三〇分には心電図所見にかなりの改善がみられ、同八時四〇分には自発呼吸が戻り、応答できるまでに回復したため、同九時バードの使用を中止し、酸素テントの使用が開始された。

大井医師は、同九時三〇分同原告の意識がほとんど鮮明あるいは傾眠状態となり、十分な自発呼吸がみられることを確認した後、平山医師にその後の処置を引継いだ。

(四)  同原告は、同一一時には応答があり痛覚も回復したかにみられたが、その後昏睡状態に陥り、血圧の上昇がみられた。同一一時二〇分には応答が消え、痛覚が鈍化し、血圧がさらに上昇して脈拍が不整になり、痙攣がみられ、同一一時三五分には痙攣はなかつたものの同様の状態が続いたうえ、痛覚が消え、頻脈かつ浅呼吸となつて爪にチアノーゼがあらわれた。

そこで平山医師が同一一時四五分診察した結果、同一一時五〇分から看護婦の付添のもとでマニトンS及びデカドロン(血圧及び脳圧降下剤)の点滴が行われたが、この間の同日午後〇時心臓及び呼吸が停止したため、ボスミン(心臓活性化・血圧上昇剤)が心臓に注射されたうえ蘇生術(心マッサージ)が施され、バードの使用が再開された。

その結果同原告は、同〇時三〇分には血圧がやや下がり、同〇時四五分には血圧がほぼ正常値に戻り、チアノーゼも消失した。

(五)  しかし同原告は、同一時すぎころ呼吸状態に異常をきたした結果、バードが不規則音を発するようになつて停止し、集中治療室の他の患者の付添人であつた小延輝昭が右の状態に気付いてこれを看護婦に知らせ、隣室からかけつけた看護婦は、呼吸停止のほかチアノーゼ及び四肢の冷感を認めて手動で人工呼吸を続けた。

また、これを聞いてかけつけた平山医師は、同一時一五分心臓の停止を確認し、ボスミンを心臓に注射して蘇生術を行つた結果、心臓が動き始め、バードの調整をした後その使用を再開した。

その後同原告の血圧は、同一時二五分には一旦一八四―七八となつたが、以後測定不能又は低血圧の状態が続き、同三時四五分に至つてようやくほぼ正常値に回復した。

また、同三時には痙攣及び四肢に冷感がみられたものの、その後はおさまり、対光反射・痛覚・体動はなく、瞳孔は散大した状態が続いた。

(六)  同月二日午前一〇時ころには自発呼吸が戻り、睫毛反射がみられるようになつたが、両足に異常を示すバビンスキー反射がみられ、無酸素の影響による植物状態になることが懸念された。

その後同一一時三〇分にはバードの使用が中止され、対光反射がみられるようになり、同日午後一一時一〇分には痛覚も回復したが、他の異常な状態はほとんど改善されず植物状態が続いた。

5  同原告は、同年八月二一日植物状態のまま同病院から医療法人十善会野瀬病院に転医した後、同五一年八月二五日同病院を退院し、現在神戸市立中央市民病院に通院しながら自宅において原告正夫及び同玉端らの看護のもとで療養生活を続けている。

三右二の事実に<証拠>、鑑定人太田保世の鑑定結果を総合すれば次の事実が認められ<る。>

1  フグ中毒等に関する知見について

(一)  フグ中毒は、フグの肝臓などに含まれる毒素(テトロドトキシン)が人体の細胞膜のナトリウム輸送に障害を与え、その結果神経の伝導が害され、呼吸筋を含めた筋麻痺を招いて呼吸障害をおこし、これとあわせて心停止などの循環障害をおこして著しい血圧低下を招くものであるが、循環障害の発生機序については、毒素が直接心筋若しくは脳神経に作用しておこるものか又は呼吸障害による脳浮腫等二次性の脳障害の結果としておこるものかは解明されていない。

フグ毒は食後三〇分ないし五時間程度で症状があらわれ、食後八、九時間で体外に排出される。フグ毒に対する解毒剤はなく、その中毒に対する処置としては呼吸管理が最も重要であるが、これを完全に行つてもなお死亡に至る例が少なくない。

(二)  脳梗塞は脳に対する虚血と低酸素を原因としておこる脳の不可逆的変化であり、その範囲が広いと植物状態となる。

2  原告洋子が植物状態となつた原因について

(一)  同原告については、西市民病院では酸素吸入を受けていたが、約二〇分間この処置を受けずに救急車で搬送され、被告病院入院当時にはすでに無呼吸状態に陥り、フグ中毒としては最も重い症状が発生していたことが明らかであるから、これが脳浮腫や脳圧亢進などの二次的変化を招く原因となつた蓋然性が十分にあり、またその後二回にわたる呼吸停止及び心停止もその原因となつたものと判断される。

また、フグ毒の影響が消失した後であるとみられる同四九年一月一日午前一一時ころに至つて新たに血圧の亢進、頻脈状態及び痙攣があらわれたことからみて、この時点ですでに脳梗塞が進行していたものであり、これによつて植物状態に陥つたものというべきである。

(二)  同原告に対しては、被告病院入院後まず手動式の吸入器を用いて呼吸確保の措置がとられ、引続いてバードによる継続的な呼吸管理が行われたほか、強心剤などが投与されたことが明らかであり、いずれも適切な処置であつたとみることができる。

(三)  同日午後〇時の呼吸停止及び心停止は看護婦の付添中に発生したことが明らかであり、直ちに蘇生術の施行など適切な処置がとられたものというべきである。

また同一時一五分の呼吸停止及び心停止については、隣室からかけつけた看護婦がまず手動で人工呼吸を行い、その後医師が速やかに蘇生術を施した結果一命をとりとめたものであり、適切な処置がとられたものというべきである。

その他被告病院の処置に過失があつたことを認めるに足りる証拠はない。

四以上の次第で原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)

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